日本のアロエ史と間宮家の関係
マミヤンアロエ(株)の現社長の祖父が、昭和4年(1929)に漢方薬販売を主体とした「間宮四方堂」を開設しました。当時難病と言われた「かっけ」の特効薬としてアロエを配合した漢方薬が主力製品でした。
昭和20年代は戦後の混乱期で、西洋医薬も未発展で漢方医薬全盛と言ってもいい時代でした。戦争から帰った父親の2代目が、「間宮製薬(株)」を起し、アロエキスやアロエ粒の原型になる軟膏や錠剤を製造・販売しました。
終戦直後の当時、アロエを医薬品として扱うのか、化粧用として扱うのか、大きな許認可問題が起きましたが、この問題でも2代目は大きな影響力を発揮しまし、アロエに関する多くの著書をも残しています。
原爆火傷にアメリカ政府がアロエを日本に薦めた事を受けて、防衛庁(当事)でアロエ研究をし、アロエ研究の第一人者になられた添田先生とも2代目は深い交流がありました。
3代目の現社長も幼少時代から「間宮四方堂」の手伝いをしていました。その幼い頃からの経験をいかし、後に、我が国で始めてアロエを配合した養毛料や化粧品を作りました。昭和31年(1956)のことです。今ではあたりまえの様に化粧品にアロエが使われていますが、当時としては画期的な発想でした。
それは、当時ペニシリンの発明などによる西洋医薬における新薬の台頭により、アロエの将来は医薬の世界よりも化粧品の分野で真価が発揮されるのではと、早々に判断したことによります。
現在、アロエ・エキス配合化粧品が盛んなアメリカですが、アロエの研究が進み注目される様になったのは、だいぶ後のことです。昭和29年(1954)の第五福竜丸の被曝事件で、原爆火傷治療に米国政府が実験的にアロエを日本に送ってきたこともありますが、本格的研究はなされていたとは言えませんでした。
クレオパトラがアロエを美容に使っていたという例はともかく、おそらくアロエを化粧品に採用して販売したのは3代目の現マミヤンアロエ社長が世界で最初だったと思われます。
その後の昭和34年(1959)に設立したマミヤンアロエ(株)が軌道にのるキッカケになったのは、独自の製法で作られた「アロエトニック」でした。その養毛育毛効果が美容業界で大好評を得て、順調に業績を伸ばしていきました。
ある業界歴50年のデーラーさんの言葉を借りると、「ホントに毛が生えてあんなに売れた商品は初代アロエトニックしかなかった」と。
現在40年ぶりに今風のパッケージングでリメイクされた「マミヤンアロエ薬用トニック」がヒットしているのも、充分な実績の裏づけがある処方であるからだと思います。
以上が、アロエの普及に努めてきた間宮家の略歴ですが、当社は、これからもアロエ・エキス化粧品のパイオニアとして業界をリードし、より良い製品を作り続けてまいります。
なお、3代目現社長は、日本アロエ協会設立時に、初代理事長に就任しました。現在も食品業界を中心とする日本アロエ協励会の理事長を務めております。
